
難易度を増すセルビアの「バランス外交」:「4本の柱」の上で踊り続けることは出来るのか
- 遠のくブリュッセル:原則論と実利の狭間で揺れるEUのジレンマ
- ワシントンとの不協和音:トランプ2.0への期待と新たな火種
- 揺らぐ「兄弟愛」:関係修復に舵を切った対露関係
- 「鉄の友情」と「債務の罠」:対中関係の光と影
- 結論:試される「バランス外交」の限界と岐路に立つセルビア
セルビアの外交政策は、公式に採択された戦略文書を有しておらず、「4本の柱」(EU、ロシア、中国、米国)の間でバランスを取るという、現与党セルビア進歩党(SNS)が政権を握る前に推進された政策に基づいて運営されている。2000年のミロシェヴィッチ政権崩壊以来、EU統合はセルビアという国家にとっての優先事項として掲げられてきたが、宣言された目標と実際の政策との間には大きな乖離があり、対外関係はセルビア国内外で最も物議を醸すテーマの一つとなっている。特に2025年に入ってからの目まぐるしい政策転換は、この「バランス外交」が新たな局面を迎えたことを示唆しており、セルビアは主にEUおよびNATO加盟国で構成される西側諸国とロシア・中国を中心とする東側勢力の間で展開される地政学的な不安定状況の中で、より困難な選択を迫られている。本稿では、これら4つの柱とセルビアとの関係を最新の動向と共に詳述し、今後の展開を考察する。
1.遠のくブリュッセル:原則論と実利の狭間で揺れるEUのジレンマ
セルビアのEU統合プロセスは、国内改革の遅延とEU側の厳しい姿勢により、事実上の閉塞状態にある。かつては西バルカン地域で加盟交渉の先頭を走っていたが、民主化、法の支配、メディアの自由といった分野での後退が顕著となり、今やモンテネグロやアルバニアに追い抜かれる状況となっている。
このEU側のいら立ちを明確に示したのが、2025年5月のEU外務・安全保障政策上級代表カヤ・カッラス(Kaja Kallas)のベオグラード訪問である。彼女は「加盟への近道はない」と断言し、メディアの自由や腐敗との戦いといった国内改革における「書類上のチェックだけでなく、あらゆる分野での適用」を強く求めた。さらに、他の西バルカン諸国の訪問時とは異なり、セルビアでは当局者との共同記者会見を避け、野党や学生、NGOの代表者とも会談した。これは、ヴチッチ政権と距離を置くという極めて強い政治的メッセージであった。
また7月には、欧州委員会が公表した2025年版の「法の支配」報告書において、セルビアにおける司法、汚職対策、メディアの自由、議会機能といった分野について強烈な「ダメだし」を行い、さらには拡大担当欧州委員のマルタ・コス(Marta Kos)が、「アルバニアやモンテネグロとのEU加盟交渉はかつてない進展を見せているが、セルビアの進展は遅れている」と記者会見で明言するなど、フォン・デア・ライエン(Ursula Gertrud von der Leyen)委員長体制の2期目に入ったブリュッセル首脳部は、セルビアに対して明らかに1期目よりも厳しい姿勢を示そうとしている。
しかし、EUの対セルビア政策は、こうした価値観に基づく原則論だけでは動いていない。その裏には、地政学的な安定と経済的な実利をめぐる深いジレンマが存在する。その最たるものがコソヴォ問題である。西バルカン地域の長期的な安定に不可欠なセルビアとコソヴォとの関係正常化交渉を進める上で、セルビア国内で強力な権力基盤を維持するヴチッチ政権の協力は欠かせない。そのためブリュッセルは、ヴチッチの非民主的な統治手法を過度に追及することで、彼を交渉のテーブルから遠ざけてしまうリスクを常に天秤にかける必要がある。これが、長年にわたりEUがヴチッチ政権の権威主義的な動きを事実上黙認してきたと批判される背景にある。
さらに、EUは経済的・戦略的な実利も無視できない。その象徴が、セルビア西部のヤダル鉱山におけるリチウム開発プロジェクトである。EUはグリーン移行(GX)及び経済安全保障上の戦略的自律の観点から、このプロジェクトをEU域外の重要戦略案件に指定し、電気自動車のバッテリーに不可欠なリチウムの安定供給源としてセルビアに大きな期待を寄せている。これは、一方でセルビアの民主主義の後退を厳しく批判しながら、他方でセルビア国内で大規模な環境抗議まで引き起こしているような物議を醸すプロジェクトを経済的に後押しするという、一見して矛盾した態度を生み出している。
セルビアとEUの関係は、このEU側のジレンマの中で展開していくことになる。EUは今後も、法の支配の回復という原則を掲げつつも、地政学的安定と経済的利益という現実的な要請との間で、難しい舵取りを迫られることになるだろう。
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